理想的な死に方:愛されて愛されて、枯れるように終わっていきたい

ヨガや瞑想をするようになり体の内側でおこることに繊細な意識を向けることができるようになると、これまでどれだけの不要な食べ物を体に取り入れていたのかがわかるようになりました。
私はパーマカルチャーやヨガやマインドフルネスや環境保護やNVC(非暴力コミュニケーション)やソーシャルチェンジをするコミュニティ(生態系)に属していて、自分の体や他の生き物にもなるべく非暴力的でありたい、という意識があります。無添加や無農薬の食材を使いレスミートで少食の人が多く、特に海外の友人の中にはヴィーガンも多く「究極的にはブレサリアン(食事をせずに生きる人)になりたい」という考えもあり、私も一時惹かれました。
ブレサリアンの魅力についてはこちらを。

「死」とは何か?

ブレサリアンについて本を少しずつ読み続ける中で、一番スッと入ってきたのがこの本でした。
私が、体が必要としている以上の食べ物をとる時「食べないと死んじゃう」という恐れが作動していることに気づいています。
著者の稲葉先生は、「死」は失敗や恐怖ではなく、私たちの本質は「魂」であり、死とは、肉体を離れ、魂の美しい故郷へ戻っていくこと。と書いています。
その「死」の捉え方は、私にとって自然なものでした。
子供の頃から「死」が怖く、いつからこの捉え方に変化したか分かりませんが、スピリチュアリティの学びを始め、非二元論的な(=仏教に通じるものだと思います)考えを採用するにつれて、死が怖くなくなりました。と、書きながら、もしかしたら「ほんとうの自分の人生を生き始めた」ことが大きいかも、とも思いました。明日死んでも後悔しないくらい存分に毎日を生きているから、生に未練がないことが大きく影響しているかもしれません。

晩年=遊行期

書籍の中で深く心に残ったのが「インド人の逝き方」でした。ヒンドゥー教の四住期というコンセプトでは、人は死期が近づいたと感じると家を離れ巡礼のように旅をして天命の尽きるところで、その場の人たちに看取られるそうです。
尊敬する、元夫のお母さんは「ボケたら山に捨てて」と言っていました(笑)いさぎよさと愛の深い人で、心からそう言っているのだろうなあ。
私もそんな感じでいいや♡
以下、稲葉先生の言葉を引用します。

そうやって、行く先々で人々の慈悲を受けながらついに動けなくなる時がきます。すると「あ、この人はここで死ぬな」と村人たちは受け入れて、木陰のベッドに寝かせてくれます。そこに、もう食べ物は持ってこないで、水だけを持ってきてくれるのです。
子供たちが歌を歌ったり、村人が訪ねてきていろいろな話をしたりして、楽しく過ごさせてくれます。そうするうちに1〜2か月がたち、静かな死を迎えることになります。これが本来の遊行期です。
最近のインドは近代化してきて、家を出て村々を渡り歩くなどということはできなくなりましたが、その基本は大切にされていて、多くの人たちは自宅で同じ死に方をします。
つまり、「自分は長く生きてきて、もうこれ以上は生きなくていいな」と思った時点で「お水だけにします」と言って、ベッドで過ごす生活に入るのです。家族は「ああ、その時期がきたのだな」と了解して、水だけをあげます。
親族や友達が訪ねて来て、一緒に楽しく過ごし、1か月半くらいでスーッと静かに亡くなります。ですから、長患(ながわずら)いで延々と介護されるなどということは起こりません。
(中略)
その死はこの上なく安らかで、おだやかです。それは、家族や親しい人たちに見守られて逝くからでもありますが、それ以上に、インドの人たちは「もう一度生まれ変わる」ことを固く信じているからです。やがて、先に逝った親族たちがお迎えに来て、一緒に向こうの世界へ連れて行ってくれると信じているので、不安も恐怖もないようです。
「自分は生きている間、いいことをしたから、またいいところに生まれ変わるだろう」と思って来世を楽しみに旅立っていくのでしょう。これが、私の理想とする一つの逝き方です。

p.80-81

稲葉先生は2018年に75歳で永眠されました。

私の「みとり」

私は実家で同居の祖母と両親が余命宣告数ヶ月で亡くなっていくのをある程度看取りました。
祖母は完全に家で看取りました。トイレも近いし廊下が涼しいから、と祖母は自分で選択し廊下に布団をひかせ寝ていました。トイレに行けなくなってから私たちが応接間に運び、だんだんと彼岸と此岸をうろうろするかのように、時に目を開け私をみて「あ、まだ生きているのか」と呟いたりして枯れるように亡くなっていきました。
父の時は私は海外にいて、死に目には会えませんでしたが、なくなる2週間前に帰国し入院する前の姿を見ています。玄関の階段に座ってわたしと息子を送ってくれました。最後は病院で、うわ言でわたしの息子の名前を呼んでいたそう。
母もなるべく家で介護を受けたい人でしたが、幸せなことにお気に入りの病院を見つけ、彼女にとってのベストの待遇を受け人生にも満足しながら亡くなりました。12月の夜、電話で亡くなった連絡を受け、夫(当時)が車を借りて病院に連れて行ってくれたことを思い出します。
大切なひとの呼吸が止まる時に手を握っていたい、という思いがあります。
私が死ぬ時には息子に手を握っていてほしいなあ。

水城さんの「みとりフェス」

2020年8月12日現在、NVCのコミュニティの大御所・水城さんが魂に帰る旅を始めたところを、パートナーのまりさんが自宅で見とることを選択し、仲間たちと24時間臨戦態勢で介護しています。そのプロセスは「みとりフェス」と呼ばれ、水城さんのご縁のある人たちが駆けつけている。
眠っている時間の多い水城さんにぴったり寄り添っているまりさんの献身を見て、離婚した我が身への悲しさもこみ上げます。
結婚する時、私は「わたしはこの人が最高に幸せに一生を過ごせるように結婚しよう。そしてこの人より絶対ながく生きて、みとろう。この人に悲しい思いをさせたくないから。でも喪失に耐えられないから、お葬式の後わたしもなるべく早くに死にたい」って比翼連理な思いで結婚したことを思い出しました。なぜか「みとりたい」が強かった(当時は思い込みの強い性格だった^^;)
その思いが裏腹に出て自己犠牲となり、今でも解消できない怒りや恨みになり、いい嫁にはなれなかったし、いま彼をみとるであろう奥さんがいることに深い感謝があります。

さて。水城さんに届くたくさんのお花や愛情、「非常事態なんだよ」と言いながらも「水城さん、人生最大のモテ期よ〜!」と明るく笑い、水城さんの「ジーザスが来た」のつぶやきには「2−3日待っててもらって!」と応酬するなど、笑いと穏やかさと日常生活が共存する場。NVCの仲間が来て、食卓でオンラインコールをしNVCをさらに広めるミーティングをしている。それは、わたしにとってはとても居心地の良い時間でした。
悲壮だった祖母の介護や、文京区から母の入院している松戸の病院(駅からバス・・・)に2歳児の息子を連れ通い、じっとしていられない息子と怒られながら、モルヒネで廃人化する母に驚いたり、痛みを和らげてあげるすべもなく、母の友人がレイキするのを眺めていたり、急速に枯れていきながらも相変わらずわがままな母への愛憎を処理することができずカオスだった自分の介護を思うと、このNVCコミュニティのみとりは、わたしには理想に思えます。

追記:この記事を書いた3日後、終戦から75年目の8/15に水城さんは息を引き取りました。水城さんが引いてくれたNVCの水脈をより太くすることに貢献できるように、私の命を使っていきます。

コミュニティ・ホスピス、どうでしょう?

家族をみとった経験からは、もはや末期は自宅である必要もないんじゃないかと思っていて、仲間がつどって介護しやすい「コミュニティのホスピス」みたいな家があって、そこが誰かの死期が迫ったら、連れてきてみんなでみとる場っていうのはどうだろう?
突然バリアフリーにするのにお金がかかったり(税金も)、数ヶ月のために購入する備品が多かったり、ヘルパーさんたちも、家に応じて対策を考えたり、エネルギーがかかりすぎてるとも言えるかも、介護。
インフラ的にも使いまわせたらいいし、子供たちにも、人が、枯れるようにだんだん食べられなくなって魂に帰っていくという死生観を、私は身につけて欲しいから多様な世代で積極的に介護をしたい。
そして、コミュニティにある多様なギフトが巡る場にもなると思う。
まりさんは水城さんの好きそうな音楽をかけ、のぞみさんはプロマネと発信、リコちゃんがみんなのごはんを作ったり運転したり、誠司さんはTVを下階に運んでくれ、私は水城さんに届く大量のお花をアレンジ。トップの写真がそれ。アーティストの水城さんに合わせてお題つけて。右の花瓶は「情熱」、左の花瓶は「少女」、真ん中はその折衷で「情熱と少女の間」って呼ばれてます(笑)

関係性の質の高さが、Quality of Life

「こんなコロナの時期なのに、NVCの人たちは抵抗もなくみんな来てくれて」と言われ、「あ、そういえばコロナ時代だった」ぐらいの認識でした(笑)
いつも通りハグもしてくれる。気づけば息子以外の人とハグをしたのが、この半年で妹分のミオだけだったかもしれないと気付きます。
ミオからは、東京のおじいちゃんから「コロナにかかって死んだとしても、ミオの作った料理を一緒に食べたい」と受け入れられたと聞きました。
長生きがゴールじゃない、大好きな人たちと生きるために命があるんだ。
ハグがいいのは、その人とずっとハグし続けてきてる歴史があること。
素粒子的な交換もあるんだと思うんだけど、ハグすることで行き来するものすごい情報量があると思い出す。その人のことや思い出が鮮やかに蘇る感覚がある。硬さ、柔らかさ、厚み、温度。
人と繋がるのはその触感な気がします。わたしが愛とパートナーシップのあるSEXを大切にしているのも、そこだなー。
NVCとはあなたにとって何ですか?と聞かれたら「関係性の質の高さを極めていく道です」と答えてきました。今日からは、NVCとは「いかによく生きるかを実践する道」なのだと答えます。
ありがとう、みんな。

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東京アーバンパーマカルチャーに書いた記事
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コロナウイルスから人類へあてた手紙 by Vivienne Rodriguez Reich

パーマカルチャーでつくる新しい世界「カウンター・ソサエティ」